2011年06月03日

能生白山神社舞楽



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データ
名 称:能生白山神社春季大祭 舞楽

祭礼日:毎年4月24日

場 所:能生白山神社境内
     (新潟県糸魚川市大字能生7238)

問合せ:025-552-1511
     (糸魚川市教育委員会文化振興課)

H P:能生白山神社
http://nouhakusan.jp/





概要

 鄙舞楽という民俗芸能がある。笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)などによって奏でられる雅楽、その雅楽にのせて舞われるのが舞楽だ。陵王や納曾利といった舞楽面を一度は眼にしたことがあるのではないだろうか。舞楽は8世紀に中国や朝鮮から伝来した楽舞をその起源としている。平安時代に整理され、現在に伝わる舞楽の原型ができる。宮廷および寺社により伝承されてきたが、中でも大阪の四天王寺において盛んに伝承されていた。この四天王寺に伝承されていた舞楽が各地に広まり、土着化し、民俗芸能にカテゴライズされるようになったのが「鄙舞楽」である。新潟県糸魚川市能生の白山神社に伝わる舞楽は、室町時代の永享年間(1429〜1440)に四天王寺の舞楽が伝えられたものと云われている。

 舞楽が舞われる白山神社の春季大祭は、地元では現在でも「能生まつり」と呼ばれ親しまれている。そのことが象徴的なように、この舞楽の特徴は、今もなお、多くの地元の人びとによって舞や行事が伝承されていることにある。舞楽を舞う舞い手稚児のほかに、太鼓や笛といったお囃子、獅子舞を舞う若者連中、三基の御輿の担ぎ手たちに、行列や祭礼の奉仕者たち。そして、祭りに集まる観客たち。祭りに関わる人の家族や友人たちが神社内の桟敷席や石段にゴザを広げ、弁当や酒を楽しんでいる。まるで花見のような風情の中で行われるこの祭りは、日本海側の小さな町としては違和感を覚えるほどの盛況ぶりである。大祭の準備や稚児の決定、小泊社人への使い、能生谷の集落への協力依頼、そして後始末など、膨大な労力をかけながら、今もなお、伝承されているのが能生白山神社の舞楽なのだ。

取材記

 民俗芸能のことをいつも教えてもらっているKさんに、「おもしろい鄙舞楽があるよ」と誘われて観にいったのがこの能生白山神社の舞楽だ。新潟の最西部で富山との県境に位置する能生は、東京からおよそ350km、車で5時間近くかかる道のりである。途中、長野で諏訪大社や戸隠神社に寄り道をし、妙高山の脇を抜けたその先が能生だ。この長野から日本海側へ出る山深い道は修験者たちが通った道のりでもある。能生の町は商店街はあるが活気はそれほどなく、日本海側の小さな街といった印象だ。

 だが、白山神社の春季大祭は想像以上ににぎやかだった。参道には屋台が並ぶのはもちろんだが、舞楽殿を中心に社務所前や石段には既にスペースが確保されており、地元の人びとが続々と集まり、シートを広げて見物が始まる。多いのは観客だけではない、様々な道具や飾り物を持つ白丁の衣装の氏子たち、紋付や裃を着て段取りを行う世話役たち、獅子舞を踊る若者連中に、楽器を担当する楽人たち、三基の御輿をかつぐ威勢のいい氏子衆に、お手伝いの学生服に下駄をはいた小中学生。祭りの奉仕者だけで100人ちかい人びとが動いている。さらには、稚児たちは祭礼日に地面に足をつけることはない。必ず稚児守に肩車され、また稚児傘により守られながら移動を行う。また御輿がお旅所へ入った際に本社から供物を運ぶ役たちは、地面に足をつけないようためだけに設置された足場をつたって備えていく。祭礼日に私たちが目にする神事はごく一部であり、祭礼日以前以後も含めた非常に多くの神事や決まりごとを今もしっかりと行っているのである。だが、それは粛々とだけ行われるわけではない。

 能生まつりは、いろいろと観客を「じらす」。祭りの始まりの社人と神使のやりとりは「七つ半」も繰り返し、御輿もまた定位置についてから動き出すまでに何度も焦らし、ひっぱる。さらには稚児や舞人たちの舞いが終わりそうになるともっと舞えと引きとめ囃す。こちらは神事のような「決まりごと」というよりも、場を盛り上げる「お約束」的なコミュニケーションだ。しかし、ひっぱりにひっぱった最後の陵王の舞直後の怒涛のクライマックスには圧倒される。能生白山神社を訪れる際はぜひ最後まで観てほしい。(西嶋)
posted by 西嶋一泰 at 00:00 | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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